
りく様が提案した後妻打ち(うわなりうち)は、平安中期頃から江戸時代の初期頃まで、庶民から身分の高い女性まで広く行われており、最古の記録は、平安中期の藤原行成の日記『権記』の「藤原道長の侍女が
天河真嗣@人呼んでカクヨム界のコンデ・コマ
後妻打ちは笑ってばかりもいられないのです。 この出来事がきっかけとなり、頼朝の後ろ楯・北条時政が伊豆に退去してしまいます。それはつまり、頼朝のバックボーンひいては鎌倉内部のパワーバランスが崩れることでもあるわけで。 政治的空白に発展するこの問題がキモではないかと。 #鎌倉殿の13人
水月(嵐月 香詠)
まさかの後妻打ち?亀の前事件?が政子がこうしてくれって直接言ったんじゃなくて、いろんな人が忖度というか考えて動いた結果、屋敷が焼け落ちてしまうまで大騒ぎになり、後世の恐妻イメージに一役買ってる?風な描き方になっているのが面白かった
IZM??
義時は八重さんと対すると、ぽんこつに…がさらに、ぽんこつになってる。これは、恋が芽生えない。しっかりしろ。史実と創作を上手くつなぎ合わせているので、面白いなぁ。義経が後妻打ちを手伝うのも、政子に懐いてたから、自然な流れだし、上手いなぁ、とひたすら思っていました。
コメント
ogiso
さん
2022-04-09 02:50:05